
縁起物のだるまの由来について
1.「達磨大師」がルーツ
現在のだるまのモデルになったのは、インドから中国へ渡り、禅宗の祖師とされる「達磨大師(だるまだいし)」です。
達磨大師が壁に向かって長期間座禅したという伝承などから、座禅姿の達磨大師をモデルにした「だるま」が中国で作られるようになりました。
2.日本で禅宗が広がる
中国から日本に「禅宗」が持ち込まれた際に、「だるま」も一緒に持ち込まれました。
なお、中国から日本にやってきたときの最初のだるまの色は「黄色」でした。
3.江戸時代に張り子のだるまが発展
江戸時代頃から「起き上がり小法師」とも呼ばれ、「何度倒れても起き上がる」ことから「七転び八起き」と結びつき、
「願いを託す願掛けの縁起物」になっていきました。
4.赤いだるまが魔除け・病気除けとして普及
インドのような暑い国では、日差しを避けるために頭からずっぽり布をかぶります。それと、赤い色は仏教では位の高い人の印になります。
そのため描かれる達磨大師は、赤い布(法衣)を頭からかぶっているのです。
縁起物のだるまは、
「赤い法衣を身にまとった達磨大師の座禅姿」と、
「江戸時代、庶民の間に禅宗が普及したこと」と、
江戸時代当時の恐ろしい流行病であった「疱瘡(天然痘の俗称)」や「はしか」などに赤ちゃんが掛からないようにとの
「魔除けの意味が結びついたこと」で、赤く塗られ、
「だるま=赤色というイメージ」が、広がっていきました。
5.高崎など各地でだるま作りが発展
高崎だるまの始まりは、延宝5(1667)年に東皐心越禅師が開山した禅宗の一派である黄檗宗の少林山達磨寺で、毎年正月に心越禅師の描いた一筆達磨の座禅像を配り札としていたことによります。
その後、文化年間に達磨寺の近隣の上豊岡の山県朋五郎が
「達磨寺九代目住職の東獄和尚に木型を彫ってもらい和紙を張って作ったのが、高崎だるまの始まり」
とされています。
高崎は、冬に風が強く乾燥する気候がだるま作りに適しており、「農閑期の副業」として盛んに行われるようになり、全国にだるまの置物が広がっていきました。
6.願掛け・商売繁盛・合格祈願などの縁起物として定着
その後、「魔除け・病気除け」だけでなく、
「家内安全」「商売繁盛」「大願成就」などの「願掛けの縁起物」として定着し、現在に至ります。









































































